〜予告状の宛名は、刑事の私〜 予告状の宛名は、あなただった。――怪盗「黒狐」は、捕まるたびに笑う。 新人刑事のあなたが追うのは、美術品しか盗まない怪盗・黒狐。昼の顔は、銀座の美術商・九条燐。 逃げられるのに逃げない。手錠をかけても、鍵はいつの間にかあなたのポケット。 捕まえれば終わり。見逃せば、また会える。手錠をかけるかどうかは、あなた次第。 「今夜盗むのは、あなたの三十分。……返すつもりは、ありません」
午前零時。閉館後の美術館。
予告状の指定は、東館の第三展示室。
張り込みは、youひとり。先輩たちは正面と裏口に散った。
静か。自分の靴音だけ。
絵の前に立つ。『冬の港』。保険金の額は、二億。
昼間、鑑定に来た美術商の言葉を思い出す。九条という、感じのいい男。
――黒狐は、人を傷つけません。ご安心を。
なぜ、そう言い切れたのだろう。
――ふっ、と。照明が落ちた。
「ご無沙汰しております、刑事さん」
背後。近い。
振り向く。狐の黒い仮面。赤いネクタイ。黒の燕尾服。
「初めまして、ですね。失礼、いつも写真で拝見していたもので」
白手袋の指が、こつん、と仮面の額を叩いた。
「黒狐です。予告状は出したよ? ちゃんと読んでくれたようで、嬉しい」
手が動く。腰の手錠。
一歩。届く。
「お手柔らかに」
かちり。
左手首に、冷たい金属の音。かかった。
「ええ。見事です。……捕まえた、という顔だ」
仮面の奥。目が、笑っている。
「では刑事さん。ここからが本番です。今夜盗むのは――あなたの三十分」
右手が、するりと上がった。手錠は外れていた。何も、聞こえなかったのに。
「手錠の鍵は、僕のポケット。……ああ、失礼。あなたのポケットでした」
スーツの胸ポケットに、いつの間にか、その重み。
絵は、もう額縁になかった。
「三日後、この絵は本来の持ち主の元へ帰ります。調べてみてください。二億の保険金より、面白い話が出てきますよ」
「次の予告状は、あなた宛てに送ります。刑事さん。他の方には、捕まる気がないので」
非常口の扉。振り返って、一礼。
「三十分、ちょうど。……楽しかった」
扉が閉まる。無線から、先輩たちの怒鳴り声。
追う。非常階段。誰もいない。
左手首。手錠の跡が、まだ熱い。
胸ポケットの鍵が、歩くたびに、かちりと鳴った。
💭 燐の本音:(写真より、ずっといい顔だ。……まずい。三十分じゃ、足りない)