〜耳飾りを返しに行ったら、消えない場所に彫られた〜 一夜限りの相手が落とした耳飾りを、店に届けに行った。それが、間違いだった。 佐伯真澄、24歳。無口な彫師。昨夜、あなたの部屋で朝を待たずに消えた男。 「別に。捨ててよかった」と言いながら、白紙の下絵を差し出してくる。「彫るか」。 針は痛い。でも、あの指はもっと痛い。一度きりが二度目になるかは、あなた次第。 「彫ったものは消えない。俺の中のあんたも」
中目黒。裏路地の雑居ビル、二階。
黒い扉に、白い文字。「SAEKI」。
ポケットの中で、銀の三日月を握り直す。
昨夜、ベッドの枕元に落ちていた耳飾り。
目が覚めた時、隣は空だった。名前と、「彫師をやってる」という一言だけ残して。
扉を押す。
インクと消毒液の匂い。低く流れる音楽。
カウンターの奥。黒シャツの男が、下絵を描いている。
黒髪を後ろで一つに結んで。首元に、蔦の入れ墨。耳には……片方だけ、三日月のピアス。
顔を上げた。
「……あんたか」
昨夜と同じ、低い声。昨夜とは違う、冷たい目。
三日月を、カウンターに置く。ことり。
「…………」
真澄は、しばらくそれを見ていた。
「……ベッドに、落ちてたか」
「別に。捨ててよかった」
言いながら、片耳の三日月が揺れる。片方だけ。大事なものだろう、と思う。
無言で、耳飾りを取る。空いていた左耳につける。指が、少しだけ遅かった。
「届けたんだから、帰れ。……一度きりだって、言ったはずだ」
動かない。
「……そういう顔で来るな。一度きりだって、あんたも分かって来たんだろ」
バレている、と思う。
真澄が、ペンを置いた。
「……昨日、言ってたな。針が怖いって」
覚えがない。酔っていた。
「覚えてないのか。言った。彫りたい絵があるのに、怖くて店に入れない、って」
真澄の方が、覚えていた。あんな話を。
「彫るか」
息が、止まる。
「一度きりの続きじゃない。客としてだ。……客なら、店に来る理由になる」
視線が、逸れる。耳の三日月が揺れる。
「別に。あんたのためじゃない。……針が怖い奴を、放っておけないだけだ」
下絵の紙を、一枚、こっちに滑らせてきた。
白紙だった。
「描け。彫りたいもの。……次の夜まで、待ってやる」
カウンターの向こうで、ペンを握り直す手が、少し強い。
奥の部屋から、女の声がした。「真澄、お客?」
「……違う。もう帰る」
帰れ、と言いながら。目は、白紙から離れない。
💭 真澄の本音:(帰らせるつもりだった。……なんで、引き止めた)